2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

お薦め本

好きな音楽2

美人時計

潮見表

  • 潮見表

« 2009年2月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年6月の2件の記事

2009/06/14

大仁田厚トークショー IN 浜名湖競艇

浜名湖競艇にて大仁田厚炎のトークショーがあったので見に行った。MCが冒頭三沢の件を振ったが、危険と隣り合わせの仕事ですから的なコメントで対応。母親の話、馬場さんの話で会場の年齢層の高い客の心をつかむ。大げさな手振り・身振りを交えた話しかけるスタイルのトークで、結構盛り上がった。大仁田さん、トークの腕上げたね。いつもは若手のお笑いを呼んでいるのだが、今日は珍しくプロレスラー。いつもとは年齢層が違うし、少し客も少なかったが、十分楽しめた。入場料の100円でお笑いライブやトークショーが見れるのはお得。

三沢光晴 巨星落つ

[三沢光晴] ブログ村キーワード
朝早くに目がさめ、何気なく携帯を見るとメールの着信あり。相手は、学生時代の友人から。件名は「無題」。また、彼の好きなダウンタウンネタかな?などと思いながらメールを開くと「三沢が広島で亡くなった」との内容。何~~~~。一瞬何を言ってるんだと呆然状態。すぐに、テレビをつけたが、早朝のためか、どこもニュースをしていない。パソコンをつけYahooを見るとまぎれもなく「三沢死亡」の文字が・・・・。

最近、めっきりプロレスを見ることもなくなったが、学生時代はプロレス研究会に入るほどのプロレス好き。初代タイガーマスクの時代からだからもう25年ぐらい前から熱中してたな。三沢さんに関しては、2代目タイガーマスクの頃から知っているが、やはりマスクを脱いで、そのころ最強だったジャンボ鶴田との激戦。その後に続いた全日4天王時代はちょうど大学時代で思いっきり熱中した。当時、バリバリの新日派だった私だが、その頃の全日は熱かったのでよく見に行った。どんなに地方の会場でも全力ファイトで観客を魅了したそのスタイルは見ているこちらが心配するぐらいの過激なプロレスだった。

そんな時代を過ごしてきた私の三沢光晴との最高の思い出と言えば、当時所属していたプロレス研究会で三沢光晴の講演会を学園祭で開催したことだ。当時すでに人気爆発している状態であったが、その年は前田か鶴田を呼びたいなと思い交渉していたのだが、どちらもダメで、全日から「三沢」の提示を受けた。こちらとしては、願ってもいないことだったが、講演会費がトップレスラーだけに高く、貧乏学生の集まりである我が研究会でその費用を捻出するためには、一人頭、最低でも4万円以上必要という状態であった。当然、そこまでして呼ぶ必要があるか?他のレスラーを検討しないか?という意見もあり、研究会内でのミーティングでなかなか結論が出ず、何度も集まり話し合いを続けた。当時、私は副会長で、講演会自体も3回目ということで、今までの2回も盛況であったが、残念ながら会場が満員になることはなかったので、何とか卒業までに会場をいっぱいにした講演会をしたいと思っていました。当時三沢さんは全くプロレス以外のメディアには出ておらず、寡黙なイメージがあったため、講演会としての盛り上がりにも欠けるのではないかとの意見もあり、なかなか結論が出なかった。最終的には、私のわがままであったが、「あの三沢光晴を呼べるんだ。苦しいけどやろうよ。「今しかできないことをやる」が我がプロ研のモットー。まさに、それが今なんだよ」と皆の背中を押して三沢光晴講演会に決定した。当日は、その頃には予想もできなかった下ネタ連発でよくしゃべる人だった。講演会も最高に盛り上がり、また、会場も初の超満員でした。三沢さん入場時に会場の電気を全部消し、スパルタンXがかかった瞬間に大ミサワコールが自然に起こった時には鳥肌がたった。学生時代の最高の思い出です。

日本全国の会場にプロレスを見に行った。特に中国地区はチャンピオンカーニバルや世界最強タッグシリーズだといろいろな地方会場で行うのだが、どこの会場でもお客さんを満足させる試合内容。初めてプロレスを見る人を連れていく場合は迷わず全日に連れて行った。女性を連れていく時もそうだった。みんな、はじめて見るプロレスのすごさに驚いていた。とにかく、相手の技を受け続けるスタイルなのである。それまでのプロレスはその人の必殺技が出るとそこで試合が終わることが多かったが、全日スタイルでは、どこで終わるのかわからない、このままずっと続くんじゃないかと思う位の試合内容。どちらがスタミナ切れして、3秒以内に肩を上げることが出来なくなるか、一種の我慢比べのようになっていた。また、当時は強いものどうしだと引き分け、いわゆる両者リングアウトという不透明決着で観客としては釈然としない、満足できない終わり方が多かったのだが、それをしないで、30分、時にはそれ以上の試合で、しかも必ず決着をつける、非常にわかりやすいプロレスをしていた。

最近プロレス自体を見なくなっていたが、少し前にテレビで久しぶりに三沢さんを見たとき「三沢、腹出すぎだな~」が正直な感想だった。もともと、筋肉質な体ではなかったが、ちょっとプロレスラーとしてはどうなん?的な体になっていた。社長業も忙しくトレーニングできないんだなと思っていたが、こんなことになり非常に残念である。

あの四天王時代の激闘で勇気づけられた人は数多くいると思う。偉大なるプロレスラー三沢光晴に合掌。三沢さん、ありがとう。安らかに眠ってください。天国で少し休んだら、先に行っている鶴田とまた激闘を繰り広げるんだろうな。

Masawa2

« 2009年2月 | トップページ | 2009年8月 »

天気

  • 天気

潮見表2

  • 潮見表2

プロレス研究会

お薦めの店

ウェブページ